読書をする時は、単純に知識を得たいから読むという場合もあるけれど、基本的にはその本を触媒として新しい発想や視点を思いつこうという目的で読むことが多い。
今読んでいる本でもそういうことがあった。
読んでいるのは『技術者(エンジニア)の心眼』(ちくま学芸文庫)という本で、エンジニアのもつ独特な思考や技術の在り方について書かれている。この中に書かれていたエジソンの発明品に関する記述が、特に自分の中では引っかかった。
「エジソンは、蓄音機、印字式電信機、電気ー機械式テルオートグラフ(文字や絵を電気信号に変えて、離れた場所で再生する装置)、キネトスコープ(映画の前進)などの様々な機械で採用した機械的な組合せを、くり返しくり返し使用した(『技術者の心眼』p.46)」
つまりエジソンは、回転シリンダーという機構を自分の思考のスタイルとして、色々と応用しながら様々な機械を発明していったらしい。
例えばdysonは革新的な掃除機と扇風機を発明・商品化しているが、彼らはそもそも「空力をコントロールする」という高い要素技術を基板としているため、この2つの商品は(彼らにとっては)「空力のコントロール」という思考スタイルを応用することで作ることができる非常に近いものだと言える。
こういった思考スタイルの特徴には「言語で考えない」という点がある。
機構自体は、思考した結果を内省的に言葉で書くことができるが、今まさに思考している状況の中には言葉は無く、イメージで機構を組み合わせて動きを考えている。つまり、頭の中に具体的に歯車を思い浮かべて動かしているのだ。
このような言葉で考えない思考は、その状況自体を言語化できないがために、学校教育などの形式では教えることが非常に難しい。教科書やマニュアルを作ることができないため、師匠と弟子という密な関係性の下で口伝によって伝えるしかない。
見て、経験して身につけるしかない。
というわけで、こういった「言語で考えない」思考技術を身につけるためにはかなりの労力やコストがかかってくるわけだが、普通の人にとっては困難な問題解決が、この「言語化できない思考技術」によってできるため、身につけた人の人材としての市場価値はかなり高くなるはずだ。重要なのは、この思考技術によって解決できる問題の深刻さとレア度だ。
つまり、こういった問題解決に優位な差のある言語化できない思考技術を身につけている人間のことを「プロフェッショナル」と呼ぶのだ。プログラマー、料理人、デザイナー、エンジニア、スポーツ選手、それはもう様々な職業において、「言語化できない思考」は存在する。
自分の関心は矛盾するようではあるが、こうした「言語化できない思考技術」をどうにか言葉にする、理解する、使えるようにするというところにある。
佐々木正人著「時速250kmのシャトルが見える」でも示されていた通り、行為の記述を集積させることによって、その一端を浮かび上がらせることができるのではないかと思っている。
そして、こうした未知のものを言語化するという行為こそが、「研究」の本質であるのだと思う。まだもう少し時間がかかるとは思うが、新しい思考技術を言語化しなんらかの形で表現することに挑戦したい。