2012/03/05

パックを逆から開いてみると


ジャスミン茶を愛しているので、通勤時にはいつもコンビニでジャスミン茶の紙パックを買っている。紙パックを買っている程度だから、本当はジャスミン茶のことを愛していないのかもしれない。でも好きだ。

さてそんなことはさておき、今日もジャスミン茶をごくごくと飲み終え(立派な社会人は、紙パックにストローを直接刺して飲んだりはせず、コップやカップを使います)、いつものようにそのままゴミ箱に畳んで捨てようとしたのだが、なんとなく注ぎ口の反対側を開けてみるとこんなものが現れた。


「リサイクルありがとう。」

紙パックをリサイクルしようとする人が、こちら側の口を開ける(これはリサイクルする人は必ずする行為)ことを前もって見越して、予め印刷しておいたというわけだ。

印刷された文字を読みながら、人の行動を予測して動くというのは、サービスの本質なのかもしれないなと、考えていた。
このサービスという言葉の意味を大辞林で調べると「相手のために、気を配って尽くすこと」と書いてある。
もう少しだけ深く突っ込んでみようと、サービスという言葉の語源を調べると「Servitus(奴隷)」という言葉にたどり着いた。
つまり、どんな人でも、誰でも、等しく(ある条件下において)、労働(またはそれに準ずる価値の行為)を提供するのが"Service"という言葉の本質ということになる。そこには「気を配る」といった感情の要素は、無い。

ということからもう一度考えてみると、「リサイクルありがとう。」という言葉を予め印刷しておく行為は、本質的な意味での"Service"にかなり近いとも言える。誰にでも等しく、謝意を伝えられるように、人の行動を予測して動いておく。

日本語の「サービス」という言葉は、たぶん英語でいうhospitalityに近い。
リサイクルしたいなっていう気持ちはhospitalityに近い気持ちが無いとできないと思う。
義務やServiceではたぶん、無理だ。

だから、サービス業は成り立つが、ホスピタリティ業は成り立たないし、サービス業にホスピタリティを求めるのも少しズレている気がする。

さて、このブログを書く行為はサービス?ホスピタリティ?果たして何でしょうか。