ある日、会議から戻ると、会社の自分のデスクの上にこんなものが置かれていた(写真)
ボタンを押すと、パンダ風のフィギュアのお腹がスロットのように回転し、グー、チョキ、パー、笹(!?)の4つのうちのいずれかが出るという機構になっているので、ジャンケン遊びができるというおもちゃだ。
もちろん、自分の手を使ってジャンケンをすれば、こんな道具なんて全く必要が無い。
でも、敢えてこういうものを使う。
一回道具を介して表現する。
効率という意味では、明らかに無駄なんだけど、何故か、それが、面白い。
(正確に言うと、出す手がスロットになっているから、自分で選択して出すのとは違うゲーム性がじゃんけんに生まれるということがあるが、本質とはズレるので置いておく)
これを触った時に、「面白さは、効率とは別の所に超然と存在している」ものなのだと改めて気づいた。
似たような構造のものが他に無いかと身の回りのものを探してみると、例えばマジックハンドというものがある。
物を人に渡す時に(失礼とかそういうのは置いておいて)敢えて手で渡さず、マジックハンドで渡した時のザワザワした気持ち。
道具を介すということは、自分の手のコントロールレートを一旦下げるということだ。
下がったコントロールレートに脳や身体が適応しようとする過程は、おそらく私達にとって、喜び(快感・楽しさ)を伴うものなのだろう。
それは、習得・学習というのが本質的に「楽しい」ものだということの証明にもなる。
新しい体験、違和感のある体験をできるだけ多くしよう。
その都度、脳や身体は学習し、新しい喜びや発見をきっと与えてくれるはずだ。