2012/02/15

五円の価値は


今朝通勤中、珍しく静かな駅の構内で「チャリーン」という音がしたので、「金だっ!!!!!!!」と音のした方を見ると(金の音になぜ人は敏感になるのかは、今日のテーマでは無いので掘らない)、ちょうど今まさに五円玉を落とした(と思わしき)女性が、一瞬落とした五円玉を確認した後、「私には関係ないわ」とでも言いたげな感じでクルッと踵を返し、拾いもせずに改札に向かおうとする一連の流れが目に入った。

その人は一瞬で、自分が戻って拾い上げる行為と五円の価値を秤にかけて、戻らない(拾わない)方を選択したわけだ。
その選択にはおそらく「五円」という金銭的価値と、引き返す労力、五円を拾う行為を恥ずかしく感じる気持ちといったものが反映されているのだろう。

普段は金額が付かない、報酬とは全く関係ない行為と「五円」という具体的な金額が秤にかけられてるのは、とても面白い。
人の価値観というのは、こういった価格や報酬(見返り)の無いものと対峙した時に始めて露見化される。プライドや大事にしているものが、うっかりあらわになってしまう。

例えば、今日自分がやった仕事に単純に報酬を与えるとしたら、いくらの金額を付けられるかやってみるといいかもしれない。
自分のような会社員の立場だと、中々そういう機会は無いのでとても新鮮な気持ちになるはずだ。
「今日の自分への報酬」を定義するためには、仕事の内容を丁寧に振り返る必要があるし、それは自分にしか出来ないことなのか、誰でもできることなのかという希少性(市場価値)も考える必要がある。結果として、自分の仕事の価値や意義を見直すことができるはずだ。

ちなみに、自分なら、落とした五円は拾います。