2011/07/13

大人の理想と子どもの本音

昨日の決意の元、クーラー(強)をガンガンかけたまま寝た結果、激しく体調を崩す。当然の朝舌打ち。そのままグッタリしたまま出社。唯一利点があるとすれば、汗を殆どかかずに出社できたってとこだけ。

会社。恒例のフタチェック。まあ出てないよね、芽。いつものようにスポイトで水をやる。早く出ろ。RBでもかけてやろうか。
色々上がってくるのを待つ。予想通り予定の時間には上がってこない。いや、別にそれ自体を咎めるつもりは無いのだが、何か一言合ってもいいと思うんだけどな。仕事においては「時間」が一番の資源なんだから。

bot。昨日手伝ったbotの挙動と周りの人の関わり方を観察してた。
話しかけると、ランダムで返信するっていう簡易なものだけど、それだけで嬉しいと感じるのは非常に興味深い。コミュニケーションが成立して嬉しいっていうのはちょっと違うっぽいし、単にボタン押したらライトが点くっていうタイプのものでもない。少し考えることにする。
も一つ興味深かったのは、自分の問いかけとbotがランダムで返す答えの間に、みんなが意味を勝手に見出していたこと。人は勝手に意味を産み出してしまう。それ自体が娯楽になっているの今の構造が面白い。

帰宅。アイデアが出ないので知識と条件の整理から入る。理詰めだけで出ればこんな楽なことはないのだが、手を動かしてないと不安なのでそういうところから入る。新規開拓というよりは洗練のフェーズなのだろう。

物欲。オーズソフビ工場(http://p-bandai.jp/ordermade/item-1000010994/)で1体オーダーしようか悩む。仮面ライダーが好きという訳ではない。こういうものは一度体験しておくべきという直感から迷ってる。これはつまりコんガらガっち( http://kongaragacchi.com/ )なワケだけど、子どもの物欲と知識欲の組み合わせのバランスがヤバい。「可能性の提示」っていう構造のものは「福笑い」から脈々とあるが、「制約された自由度」っていうのがポイントだと思う。完全に自由なのは、実はめんどうくさいし、飽きる。だから、レゴブロックとかみんな熱く語るけど、たぶん実際にそんなに手を動かして弄って遊んではいないはずだ。
大人の考える理想と子どもの本音は違うし、往々にして良くズレる。
参考:オーズソフビ工場