最近は、一枚の図版に様々なスケールの時間を圧縮するにはどうすればいいのか、ということを考えている。
「時間を圧縮する」というのは簡単に言うと、「頭の中で画を動かすためのきっかけ」をつくるということだ。
圧縮したデータ(=図版)を頭の中に送り込んで、デコード(復元・解凍)して、頭の中だけでは動いているという状態にする。
この際に「どうすれば特殊なソフト(=能力)がなくてもデコードができるのか」を模索し、表現方法論として確立させていくのが自分の仕事だ。
こういうことを考えるときはいつも、始めにまず、とっかかりになるような図を描くようにしている。
下の画像は時間の圧縮について考えていた時に描いた「既に起こったこと」と「これから起こること」について示した図だ。
「時間を圧縮する」というのは簡単に言うと、「頭の中で画を動かすためのきっかけ」をつくるということだ。
圧縮したデータ(=図版)を頭の中に送り込んで、デコード(復元・解凍)して、頭の中だけでは動いているという状態にする。
この際に「どうすれば特殊なソフト(=能力)がなくてもデコードができるのか」を模索し、表現方法論として確立させていくのが自分の仕事だ。
こういうことを考えるときはいつも、始めにまず、とっかかりになるような図を描くようにしている。
下の画像は時間の圧縮について考えていた時に描いた「既に起こったこと」と「これから起こること」について示した図だ。
こういった図を描きながら、「確かにそう見える」だとか「もしこの線が点線だとしたらどのように見えるか」だとか、「線以外でこのような表現をすることは可能なのか」といったことを延々と考えていく。
一方で過去のダイヤグラムや図表などの文献資料を探りながら、同じような試みやヒントになるような実践が無いか調べていく。
これで食っている訳ではないので完全に個人研究の枠の中での出来事なのだが、こうやって一つ一つ探っていくのは本当に楽しい。こういった感じでいくつものテーマの個人研究プロジェクトを密かに進めている。
さて、「時間の圧縮」についてだが、今は「人間は、ある単位(時間)内では、一つの(時間)方向しか知覚することができない」という仮説を立ててグラフィックの実験を行っている。
これが形になるのはまだまだ先のことだが、たとえ間違っていたとしても、こういった個人の思索や試みの積み重ねが、新しいものを生み出すきっかけになると信じている。