2011/09/01

ひらがなで話す、漢字で話す。

友人と呑みながら、ちょっと複雑なあるしくみについて説明をしていた。

いつも、その分野の前提となるべき知識が全く無い相手に説明をする場合、多少の正確さを欠く事があったとしても、その話題に必要な考え方や概念を大づかみに理解してもらうことを優先するようにしている。

相手が自分より遥かに目上である会社のトップに対しても、中学生にも分かるように話すというのが一つの指標だ。
これは相手を蔑んでいるというのではなく、あらゆる分野において専門性を有するという事は、このくらい知識に隔たりがあるということなのだ。

さて、中学生にも分かるように話すとなると、専門用語は何一つ使えないし、抽象概念はそもそも分かり難さを生む。なので極めて具体的に比喩を工夫しながら話をする。

そうやって話をしている状態を僕はよく「ひらがなで話す」等と呼んでいる。

一方、前提となる知識を共有している相手に対しては、専門用語やジャーゴンを使いながら話すのだが、そちらは「漢字で話す」と呼んでいる。

この呼び方は、意味的にも結構理にかなっているのではないかと思っている。

つまりひらがなは、表音文字なのでそれ単体では意味を生まない。五十音という少ない要素(前提知識)を組み合わせ、文を作り上げることで、始めて意味が生まれる。
一方、漢字は表意文字のため、文字自体に意味が圧縮されている。しかしその分種類が多いし、知識が無いと読むことができない。

会話なのだけど、話の中身に依存する形で、「ひらがなっぽい」等のように文字の表象が生まれるのは非常に興味深い。

まあそんな詭弁のようなもっともらしい事を言わなくとも、「この話はひらがなっぽいよね」というだけで、何となく「ああー」と共感されてしまうのが面白いのだけど。