私用で父親の実家がある九州に来ている。
地下鉄や電車・バスといった交通網が張り巡らされている都市圏では無いので、移動には自動車が必須だ。
迎えに来てもらった車に乗り、移動していると「中古自動車販売店」をかなり多く見かけた。
前述のとおり、自動車が生活必需品となっている地域だから、中古需要が高いもの納得できるのだけど、
結構な山の中、自動車が無いと行けないような所にばかりあるのが、とても気になった。
「中古車を買いに行くために、車が必要」という構造は面白い。
車を買うために車が必要ということは、その車を買いに行くために乗った車を買うのに必要な車はどうしたのだろうか…
などと延々と考えていたら頭がクラクラしてきた。
こういう構造をもつ問題が、たまに自分の頭をジャックして離れなくなってしまうことがある。
例えば、「(史上)はじめて免許証とった人に、車の操作を教えた人は、誰に教わったのか」とか「外国語の先生の先生の先生のと遡っていくと、最初の人はどうやって言葉を習得したのか」といったことだ。
きっと調べればすぐに分かるのだろうが、用意に想像できるのは「何事にも、一番最初は誰かが挑戦したことで始まった」ということだ。
誰かが勇気を決して、コミュニケーションしたり、触ってみたり、面倒くさい移動を乗り越えたことで今の便利さや知識を享受することができている。
どんな些細なことでも、新しい試みをして乗り越えるというのは、とても大変でエネルギーが要る(休日に外に出かけるにもちょっとエネルギーがいることを想像してみて欲しい)。
先人たちがやってきたように、自分ができる、挑戦して乗り越えるべき人類にとって新しい試みは何だろうか。