通勤には都営新宿線を利用している。いつもはあまりのラッシュに本当に心からウンザリしているのだけど、今日から少し早めに出社して会社で企画や勉強をすることにしたので、多少余裕のある(それでも十分混んでるが)車内だった。
いつも見る余裕の無い、ドアの上のモニターをぼーっと眺めていたら、ある事に気がついた。
都営新宿線のモニターは山手線と違って広告は無く、常に路線図(都営新宿線のみ)と今どこにいるかを表示している。
その「今どこにいるかの表示」がすごい。駅名の前に言葉がつくのだが、例えば
発車した時は「つぎ 新宿」
しばらく走って、駅に近づいたら「まもなく 新宿」
そして駅に到着したら「ただいま 新宿」
とかなり細かく表記が変わっていたのだ。
少しでも乗車時のストレス(早く着かないかというイライラ)を軽減するための、彼らなりのサービスとして情報提示しているのだろう。
ストレスがトラブルの元になりやすい現場だけあって、過剰なまでに「先回りの配慮」がされている。
ただ、乗客はこの言葉の配慮には全く意識がいっていない。無意識に「あ〜電車動いてるんだ〜そろそろ次の駅なんだ〜」と思うレベルの認知しかしてないと思われる。たとえそれでも、無意識のうちにストレスは軽減されるはずだ。
会社の最寄り駅で地下鉄を降りてから立ち寄ったドラッグストアでは、こんなことがあった。
そこは入り口の近くに二つのレジがあり、そこにいた店員Aは会計中、もう一人の店員Bもレジにはいたが、客が並んでいなかったため目を書類に向けていた。
自分がレジに近づくと、それに気付いた会計中の店員Aが、さりげなく「いらっしゃいませ」と声を出した。
すると、店員Bはふっと顔をあげて自分に気づき、会計を始めた。
つまり、店員Aが発した「いらっしゃいませ」という言葉は、店員Bに対して「お客さん来てますよ」を知らせる合図だったのだ。
店員Bにわざわざ声をかけるのではなく、客への対応という形で達成させているところが上手い。
自然と、さりげなくこういう振る舞いができるのは素晴らしいことだと思った。
無意識のまま、気づかないまま事を起こすというのは、かなり高度な「親切さ」のコミュニケーションではないか。
「はっきり物を言わない」ことを「日本人の悪い所」と否定する話もよくあるが、その能力は相手の気持ちを先回りする、高度なコミュニケーションの基盤にもなっている。
物事には必ず二面性がある。一方の価値観だけで否定してしまわずに、同じものを裏側から見て、自分にとって有意義なものとして見つめると、思わぬ宝物に出会えるかもしれない。