2011/08/12

定められた未来

朝のニュースショーでは、御巣鷹山の日航機墜落事故の話が、NHKを除きとうとう全く出なくなった。「これも時代の移り変わり」とあっさり片付けていいものでも無いだろう。520名もの死者を出した、史上最悪の飛行機事故なのだから。

この事件は自分が5歳の時に起きたのだが、周囲に関係者がいるわけでは無い。言ってしまえば全く無関係な事故だ。にもかかわらず、おそらく一生忘れないだろう。8月12日、この日は僕の誕生日だからだ。

毎朝、誕生日の朝になると、この事故に関するニュースが流れていた。自分の誕生日=痛ましい事故のあった日と小学校に入る前から刷り込まれてきている。

さて、自分が大学に入った1999年頃は、今とは全くインターネットの様相が違っていた。いわゆる「アングラ」と呼ばれる情報は本当に地下に潜ったようなところに集められ、自分たちのような大学生をそれらの情報を好奇心の思うがままに貪り読んでいた。

その中の一つに、あるflashムービーがあった。
どんなものかというと、件の日航機墜落事故のフライトレコーダーの音声と、羽田を発ってから御巣鷹山に墜落するまでの飛行機の位置が、地図上にマッピングされる形で同期しながら動くムービーだ。(参考:以下URL)
日航ジャンボ機 - JAL123便 墜落事故 (飛行跡略図 Ver1.2 & ボイスレコーダー)

このムービーのポイントは、「終わり」がはじめから分かっているということだ。あとどのくらいで事故が起こるか、私たちは知っている。ムービーを見ると、地図には御巣鷹山がマッピングされているし、YouTubeのシークバーの残り時間は事故への分り易すぎるカウントダウンだ。

「定められた未来」を前にして、私たちはただ、なす術もなく、事が起きるのを待つしか無い。
この動画を見る度、なんとも言えない気持ちに襲われ、絶望する。しかしこの未来は、亡くなってしまった彼らの未来を追体験しているだけだ。
見て検証することで得られる知見もあるが、無力さを痛感しているだけでは何も始まらない。

この文章を読んでいる私たちの未来は全く「分からない」。私たちは「分からない未来」については、思う存分もがいて関与することができる。ただ事が起きるの待つこともできるが、関与することができる。関与した結果、成功するか失敗するかはもちろん分からない。
それでも、意志をもって関与していくことこそが、今を生きている「分からない未来」を持つ自分たちの義務なのではないかと、思っている。

また一つ歳をとった。この1年は「分からない未来」にできるだけ多くもがいて関与して行きたいと思う。成果のみを求めるのではなく、行動することを称える1年にしたい。