2011/08/16

脳内マップと空間のスケール

1泊2日の旅に行ってきた。見知らぬ場所を旅する喜びの一つに、「地図上でしか知らなかった場所が、具体的な風景としてはっきり認識できる」ということがある。知らなかった場所同士が、頭の中でどんどん繋がっていって生まれる「自分の家もここも地続きなんだ」という認識は、自分の空間のイメージを大きく拡げることになる。

通勤を徒歩や自転車に切り替えた時も、これに近い感覚が得られた。
これまでは、地下鉄の駅とその周辺だけといった形で、飛び地のように頭の中で地図が作られていた。ところが歩くことで、飛び地同士が空間的に繋がる。
「ああ、この道とここがつながってたんだ」と、どんどん拡がっていく。

空間的なイメージが拡がるというのは日常ではなかなか得難い経験なので、喜びが生まれるのだろうか。

徒歩や自転車で通勤をする時に変化するイメージは他にもある。
それは、空間のスケールだ。
片道4キロの距離でも、毎日歩いているとそれが当たり前になり、抵抗感が無くなる。「4km=遠い」ではなく「4km=●●分で移動可能な距離、疲労は大体このくらい」といったように自分の中に空間と身体が対応した尺度ができる。
そして自転車だと、また別のスケールが生まれる。

脳内マップと空間のスケールがあるのは、何もアクチュアルな実世界だけでは無い。コンピュータの中にも存在する。
あるファイルを取り出す際に、デスクトップの左上にあるフォルダから階層を手繰っていく時と、QuickSilverみたいなアプリケーションでその場で検索するのとでは、イメージが全然違うのではないだろうか。
例えば自分は、検索して取り出す時は、まさに直接手を突っ込んでほじくり出す感覚がある。

言ってみれば、検索は公共交通機関を使った「ワープ」だ。
そしてフォルダ階層を手繰っていくのは、徒歩で通勤することに近い気がする。
先ほどの実世界の例だと、マップが繋がることにより、場所どうしの関係性がはっきり意識されるということがあった。
意味的な関係性の高いファイルは近くに整理しがちなので、コンピュータでも同じことが起こるのだろうか。
ファイル名が違えども、関連性の高いファイルに効率的にアクセスするには手繰った方が早いとか。

例えばAmazonで本を検索する行為と、書店で本を探す行為でも同じことが言えるかもしれない。
検索してピンポイントで本を見つけることと、関連書籍の棚の中から見つける行為にどういった差があるか。

人間の空間認知の特性から自分の情報処理のクセを探すことで、新しいシステムが生まれるヒントが見つけられるような気がする。(もうたくさんあるのかもしれないけど)