移動中地下鉄に乗っていると、正面に4歳くらいの男の子と母親が座った。
その時、その子の着ていたポロシャツのロゴマークが、異様に大きかったことに気がついた。本物なのだけど、本物じゃない、偽物のように見えてしまったことがとても気になって少し考え込んでしまった。
どんな些細なモノでも、見慣れた(その人にとっての常識になっている)バランスが崩れると違和感を混じる。人はその違和感を見逃さない。
何か知覚的におかしい、違和感を抱く現象に遭遇した時は、「それが後から獲得した知識・記憶に由来しているのか、それとも生まれつき本能としてインストールされているものに由来しているのか」ということを考えるようにしている。
これを整理することで、さっき抱いた違和感が、人類全体に共通するユニバーサルな問題なのか、日本人だけなのか、自分と同じ教育・文化的背景に由来しているのかをはっきりさせることができる。
冒頭の出来事で自分が考えていたのは、「ポロシャツのロゴ」に違和感を抱いたのは、後天的な知識に由来するが、自分の中の記憶・常識と照らし合わせて「スケールのミスマッチ」に違和感を抱くという事自体は、ユニバーサルな感覚なのではないかということだ。
写真は、例としてネットのニュースサイトで拾って来たものだが、誰の顔になっているかという瑣末な知識より、顔の大きさのバランスがおかしい(スケールのミスマッチ)という違和感の方が先に起こるのではないだろうか。
このような例からも、「スケールのミスマッチ」を表現方法として応用すれば、見ている人の注意を引き起こす新しい仕組みができるのではないかと考えている。