2011/08/01

内言で文章を

最近は、会社から歩いて帰っている。何の余計な情報もいれず、ただ集中して思考する時間を取るためだ。
歩きながら、ずーっと頭の中で色々な事を考える。その時の自分の思考の様子を観測していると、どうやら考える対象によって、全く頭の働かせ方が違うようだ。

新しい映像やアイデアを考える時は言葉は全く使わず、「頭の中で物体をこねくり回したり動かしたりしていること」が、考えてる状態になる。
つまり、思いついた時には既に動いている状態になっているので、後は、手(と眼とコンピュータ)を使って頭の中の情報を劣化させないように写し取る&現実に即した形で洗練させれば良い。普段言っている「作業」とはこれを指す。

一方、文章や自分自身のことについて考えている時は、自分の声で頭の中で延々と話しながら、考えている。これが中学生の頃からの習慣で、文章を書く時なんかも、頭の中でまとまるまで何度も何度も話していく。で、一通りまとまったら、文字におこしていく。

この方法の良いところは、話し言葉ベースで文章を書けることだ。うっかり難しい言葉をつかわずに済むのはとても良い。
コンピュータで文章を書いていると、気がついたら難しい言葉や漢字で溢れていることが多い。書いている本人は、既に書こうと思っている内容が頭に入ってるため、そんなに気づかないのだが、全く新しい情報として触れる人たちにとっては、ちょっとした言い回しが、理解を妨げるストレスになることが多い。

「分かりやすくする」ことだけを目的とするのは間違っているけれど、そもそも分りやすくないとコミュニケーションの対象にすらならないっていうのも、また事実だと、自省をこめて書いておくことにする。