2011/08/25

静けさの境界

朝、地下鉄に乗ろうと駅に行くと、ちょうどいつも以上にすし詰めの満員電車が発車していくところだった。

「今日は雨だから混んでいるのか、嫌だなあ」と思いながら次の電車を待って乗ろうとすると驚いた。さっきまでの満員電車が嘘のようにガラガラで、座席まで空いていたのだ。

「いつもはこの時間も満員で酷いのにどうして?」と思ったが、微妙なダイヤの乱れで乗客が集中し、このような狭間の電車が生まれたようだ。

ガラガラの電車による通勤は非常に快適で、わずか10分ではあるが、乗り換え駅にもなっている目的地に着くまで途中で乗客が増えて混むことも無く、仕事を進めることもできた。

そこには、台風の目のように奇跡的な静けさが漂っていた。
また体験したいなとは思うが、おそらくもう二度と体験できないだろう。狙って体験するなんて、まず不可能だ。

同じものや出来事でも、ごくわずかなタイミング・境界を境に全く違う様相を呈してしまうことがある。
生きていれば、境界があったことを後から知り、「あの時ああしていたら」、「あの時ああしなければ」と思ったりすることもたくさんある。
しかし私たちは、境界を意図して選ぶことはできないし、いつもそれは前触れ無くやってくる。

そう、あなたがこの文章を読んでいる瞬間も、何かの境界かもしれないのだ。